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痩せ枝や 花尾踏みしめ いくとせを
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アニメ、「ブラック☆ロックシューター」を見て、やはり私の余滴の大河は間違っていなかったと再認識した。ひいてはこれは、とある高校のとある先生からお教えいただいた論理だ。 プラン「インダス」は現在、着地点を見いだせないままでいる。発表する場がないというのと、もうひとつは応募する先がないということだ。加えて言うならば、これは小説でもエッセイでもない。かといってプラン「インダス」をプラン通りにくみ上げるとしても再考が必要だ。要するに中途半端なのだ。 私の内心の吐露と日記帳の合いの子のようなこの作品の居場所は一応、用意されている。それは既に1月に郵送という形で済ませている。しかし手直しは必要だ。いずれこのプラン「インダス」が完全な形で成就することを祈っている。祈るばかりでは何一つ進まないが。 結局、駆け込みで放った数発の弾丸は的を外れたらしい。もともと用意されていた弾丸だ。この数ヶ月の間に生産したものではない。外れて当たり前だ。そう思っている。大昔の弾薬を使い回すのは良くない。そうだ。 今の私は就活に専念するべきなんだろう。だからこそ逃避として書きたい気持ちもあるが、就活というのは実に後のないレースのようで、一心不乱になることを求められるらしい。 次に私がマスクを付けて文学フリマに登場するとしたら、多分それは私の個人のブースの中ということに、したいなぁなどと、考えては、消え、考えては、消え これ以上は止めておこう。ひとまず、プラン「インダス」の報告であった。 以上。 PR 陳腐な話になってしまうが、信頼というのは一度失うと取り返しがつかないらしい。教訓じみた話の中で散々言われ続けていたこのフレーズだが、いざ自分がそういった立場に置かれてみないと、人間というのはなかなか実感を伴って金言というのを受け入れられないらしい。 aBreを抜けてから7ヶ月が過ぎた。つまり7ヶ月、小説の筆を置いていたことになる。詩作やエッセイ書きは続けていたが、小説というものからこれほど距離を置いた時期は、中学生以来初めてかもしれない。しかし俺の心苦しさは小説を書かないという労苦ではない。aBreを抜けたこと、ひいてはaBreで世話になった人々に後ろ足で泥をかけてしまったことだ。 aBreの人々は恐らく、もうこれ以上ィヤンキーのようなメンヘラに振り回されてたまるか、という気概でいるに違いない。それは正しい選択であろうと思う。自分で自分を制御できない人間は集団の中で害悪にしかならない。今も昔もそれは変わらないのだ。 惜しむらくはaBreを抜けて私生活でも世話になった人々とも縁が途絶したことだ。俺と関わると人間は総じて不幸になったりぎくしゃくしたりする。その中でも辛抱強く関わってくれた人々に、俺は泥をかけてしまった。 そんなことを考えていると未だに眠れなくなったりもする。ほとほと俺というのは度し難いメンヘラなのだなと思う。 許しを請うとするならば、それは神様ではなく失ってしまった友人に対してだろうと思う。しかしそれは恐らく永遠に許されないのだ。 以上。 大手出版社へのエントリーシートを送った。無謀なことだとはわかっているが、どうしても心の隅で期待してしまう自分がいる。インターネット曰く、出版社の採用は8割コネ、2割学歴らしい。コネは当然無いし、学歴もない。繰り返すようだが、無謀にもほどがある。 先だってエントリーシートの添削を、大学の就職課にお願いしてみた。30分ほどの間に5枚のエントリーシートに目を通した白髪の男性は、一部に苦言を呈した程度で「頑張って下さい」と言った。加えるように「出版・・・、どこかに入れるといいですね」と言った。目を伏せて言った。わかってる。その男性は胸の内で目の前のドンキホーテを笑っているのだと、そんなことは痛いほどよくわかった。早々に立ち去った私の胸には深い傷が付いていた。早いものだ。次は出版社から「お祈りメール」という打撃が来るというのに、全く持って弱い。 深沢七郎は文壇登場後の二作目「東北の神武たち」について、武田泰淳の指導を受けようと事前に原稿を読んで貰ったそうだ。武田は「出してもいいでしょう」とあっさりしたものだったらしい。実際の所、東北の神武たちの評価は著しく低い。私のようなずぶの素人が読んでもはっきりとわかる低俗小説だ。 結局、指導なんて出来ないんだろうと思う。それはエントリーシートだろうと小説だろうと同じことで、結局その執筆者の内に秘めているものが上手く出ているかそうでないかの違いでしかなくて、文章のHow toなんて存在しないんだって思う。 適職検査をやった。日経就職ナビのだ。一番にも二番にも、適職は「コンサルタント」と出た。笑ってしまった。タダでさえマネージャーが欲しいなんてぼやいている私が、あろうことか専門的知識を得て企業のお目付役になるだなんて、想像しただけで笑ってしまう。就活っていうのはこういう不適合がおこるからやってられない。 ただ、もしも、たとえば相手との対話の中で、相手の内に秘めた光るモノ、何かしら光るモノを見付けて、それを相手の口から語らせることができるんだとしたら、それはきっとすばらしいことだと思う。私はそういう人間になりたかった。自分が凡夫であったとしても、自分が助力した人が一等賞を取ればそれでよかった。昔はそういう人間だったはずだ。 私にそんなことができるんだろうか。もしそれを仕事として出来るとしたら、それは教師以外の何者でもなく、そして教師になることはさっぱりと諦めてしまったのが私なのだ。 今更になってどうしようもなく、私は空っぽの理想主義者と成り下がりまして。 以上。 今、僕は耐えがたい不安感に包まれている。これは普通ならもっと早くに経験するはずの不安だ。将来がどうのこうのという以前に、自分自身へ向き合う場面は、既に通過していなければならない必須儀礼だった。それをしったのはつい最近だった。僕にとっての不運はすべて此処に終結し、ここから発信していく。 僕だってただバカであったわけではないのに、しかし漫然と口を開けてごちそうが降ってくるのを待っていたような態度では、さしもの神様だって仏様だって蜘蛛の糸は垂らしてくれない。なんたって蜘蛛の糸は美味しくないのだ。 明後日、今の不安感が終結し、明後日からまた別の不安感が始まる。その第二の不安感がもし負の結合によって現実の物となってしまったら、僕はどうなってしまうのだろうか。考えたくもない。出る前から負けることを考えるバカがいるか、と彼の男は言ってのけた。僕にその度量はない。 気が狂うとしたら次だ。次でもし僕が発狂してしまったなら、僕は実にフィクションのように発狂し、フィクションのように人生を終えるのだろうと思う。 今はただ、安らかに死ねることを願うだけだ。 ィヤンキー・キャムキャムメロン、記。2012/01/12 街を歩いているとろくなことがない。とくに日中はそうだ。昔日の姿とそこから派生して現在に至る俺の骨や皮まで透き通して、街行く人は見据えていく。俺は辛抱たまらず日陰を歩く。日陰をシェルターだと思う自分に辟易する。どこにも隠れ場所などないのだ。ただひとつ夜の闇以外には。今日は女を見かけた。女が歩いていた。人も疎らな街の道中で、女は男と歩いていた。その女は俺がかつて好きだと思っていた女だ。女が男と歩いていた。俺は街路樹を挟むように歩き、身を縮めて、サングラス越しに二人を凝視した。 人間には接近許容距離というものがある。親しさに応じて、相手が自分のどこまで近づいても不快にならないかの数値だ。それには一種の権威が与えられている。俺は彼女と接している間、どこまで接近を許されたか考えた。せいぜい1mだろう。これは女性にとっては他人の距離だ。では目の前の男女はどうだ。女の右手と男の左手は掌を合わせる形でしっかりと結ばれていた。距離にしてゼロ、ゼロセンチメートル。この距離の指し示す親しさは説明するまでもない。俺は吐き気を堪えながらその場を逃げるように去った。 帰ってきてから甘い甘いコーヒーを飲む。ブラックコーヒーをいれることができる準備は俺の部屋にない。部屋のどこからゴキブリが発生しても可笑しくないごたつきの中、冷蔵庫の中身は半分が腐敗臭を漂わせている。俺はこの部屋にいるのが耐えがたく思う。俺はいつだって、手持ち無沙汰になると看板を作る。今日も看板を作ろうと思った。しかし金が無い。立ち上がる権利さえ与えられていない。俺には仕事もない。首になって久しい。俺には金が無い。底に穴の空いた靴、その代わりを買う金さえない。 湿気ったラッキーストライクを誰に託そうかと悩みながら、右手でライターをいじくり回す。僕はこのライターを使うときが来るのだろうか。これっきりになったとしたら、このライターの居場所はどこになるのだろうか。 密封の瓶の中では刻み煙草、そしてマッチ箱が静かに眠っている。煙管は時折アルコールで拭いているが、使われていない感は否めない。酒はもう一ヶ月飲んでいなかった。娯楽という娯楽に対して、私は鈍感であった。人が執着するであろう娯楽に執着しなかった。 合法ドラッグにも手を出した。三回吸った。依存はしなかった。ただ、抜けた後の焦燥感と心臓の痛みだけが苦痛だった。何一つとして楽しいことはなかった。先月、件の合法ドラッグは薬事法改正で規制対象となったらしい。僕はお札をどぶに捨てる思いで乾いた草をトイレに流した。 私はずっと「人間が好きなのだ」と言い続けてきた。それはかっこうをつけていただけだった。本当は他人が何を考えているかなんてわからないし、自分の意図しないところで僕の発言を曲解して、勝手に怒って僕の下を去っていく。そんなことばかりだった。僕は人間なんて好きじゃなかった。 今になって思うと、それは極めて小さなコミュニティの中の話だった。僕はレスラーたちを見て思う。鈴木みのる、船木誠勝、大森隆男、ジョン・シナやCMパンクを見ても思う。物語は作られていくのではなく、発生するものなんだ。だとすれば、人生とは物語なのだ。 そう考えた時、僕ははじめて「人間が好きなのだ」と、ようやく自分の言葉で言えるような気がしたのだ。 以上。 目覚めとともに襲ってくるのは部屋に飛び交う羽虫ではない。強烈なネガティブだ。考えて見れば当然だ。どうせ俺のような人間はベッドで安らかに死ぬことはできない。ここは俺の魂が存在してはならない場所なんだ。わかっている。俺は行きつけの店に行き腹を満たそうと思った。閉まっていた。店じまいしたらしい。ここの店主には家族があったはずだ。高校生の娘もいたはずだ。この家族はどうするのだろうか。かつての笑顔の絶えない店にはもう永遠に足を踏み入れられない。 部屋の中のごたつきのなかで俺は考える。目の前でレスラーの引退試合を流していた。酷く退屈な試合だ。打撃の一つ一つが場当たり的で、とても金の取れる試合ではない。しかし俺はこのレスラーの試合を何十回と見続けてきた。頭の中には入らないし、娯楽にもならなかったが、目は離せなかった。この男は何を考えて生きてきたのだろう。20年も身体中を傷だらけにして、この男の一回しかない生涯は幸せだったのだろうか。幸せだったのだろう。引退試合を迎えられたのだから。 ニコ生をした。その日は珍しく人がきた。複数人来た。体調不良明けの放送だったので、見慣れた名前はいなかった。俺は身の上を話す、視聴者は総じて口を揃えてこういった。「お前は精神異常者だ」。わかっていたつもりだったが、自分がアスペルガーなどと考えたこともなかった。しかし、曰く知識が豊富らしい彼らが言うには、俺は典型らしい。「すぐにでも医者に行け」とも言われた。「入院して一生出てくるな」とも言われた。「犯罪者予備軍」とも言われた。俺は頭の先から喉、胃、臍にかけてすっと熱が引き冷静になっていくのを感じた。 俺が気付いた時にはベッドにいた。羽虫も飛んでいなかった。軽快なメロディで携帯電話がメールの着信を知らせていた。時間は夕方前だった。昨晩いつ眠ったのか覚えていない。酒はもう一ヶ月断っていた。薬も飲んでいない。昨晩の記憶はやはりなかった。パソコンを開いて確認したが、俺はもう一ヶ月ほどニコ生をしていなかった。外出したら、閉店していた店は開いていた。俺はまた同じレスラーの引退試合を見ている。俺には俺が何者であるのかわからない。窓の外には俺の部屋の窓ガラス目掛けて放水する男たちがいる。風切り音のような笛の音が常に聞こえる。水の音と風の音が止まない。ポストを見るために部屋を出ると、アパートの俺の部屋の扉にビニールが貼られていた。 | カウンター
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