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痩せ枝や 花尾踏みしめ いくとせを
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「御社」が「当社」になる日がやってきたらしい。 企業の入社研修を受けていた。この会社に入社が決まった時、父にもらったブランデーを思い出していた。この会社は社会福祉の一環として、盲導犬の訓練の委託を行っている。 盲導犬はいつだってすごく退屈そうな顔をして人間に奉仕している。彼らは聞くところによると人なつこい性格の犬しかなれない職業なのだそうだ。うちの、最近死んだ実家の愛犬を思う。あいつは二四時間自由だったし、いつだって尾っぽを振っていた。それに対して盲導犬はなんてカワイソウなんだ。そう一瞬だけ思ったけれど、結局人間もなりたい自分になんてそうそうなれない。「自分で選んだ仕事」なんて言われ方はするけれど、結局は多くの就職活動の果てに拾ってもらったところに転がり込んだだけだ。モチベーションが上がるわけもなく、あれよあれよという間に感情のない奉仕する機械になっていく。そう考えると、信頼される飼い主に奉仕する盲導犬のなんと自由なことか。 そも、奉仕とは何なのだろうか。所詮はただ巡り会っただけの関係である企業と俺の間に、何の特別な感情があるだろうか。これは非常に矛盾をはらんでいる。俺は自分に愛国心があると信じているからだ。俺はこの国に選んで生まれてきたわけではない。当然だ。そしてこの国から直接、俺の利益になるようなことをされた覚えもない。しかし俺は漠然と、本当に漠然と日本が好きでいる。それなのに何故俺は企業に対して愛社心を抱けないのだろう。信頼、というものが俺の心をよぎった。しかし信頼などと言うそれこそ漠然としたもので左右されるなら、俺はきっといともたやすく新興宗教にはまるだろう。 何故俺はこの企業に入ったのか、に対する明確な答えがないどころか、それ以前に自分は何になりたいのかについても答えを出せぬままに大学を卒業してしまったことが俺の人生最大のミスだっただろう。例えば、自分があらゆる可能性を持っていた、何者にだってなれるとしても、俺は何になりたいのか明らかな答えを出せないまま、やはり大学五年間を終えただろう。つまるところ、企業の言うところの積極性など、仕事をする上でどころか、生きていく上ですらないのだ。極めて消極的なのだ。およそ努力とは無縁だった俺が、2013年の4月から生まれ変わるかは、これまでの軌跡を観ればそれこそ、明らかだ。 盲導犬は自ら望まず訓練され、奉仕する立場となる。対して俺たちは望まず企業人となる。就活で第一志望の企業に入れる者など少ない。しかし、盲導犬たちのつまらなそうな顔がどれほどうらやましいことか。彼らのジョイはゼロかもしれないが、俺のジョイはマイナスだ。ベンチに腰掛けた盲人の膝に顎を乗せすまし顔をする彼、彼女ら。それを脇目に見て、俺は着心地のわるい濃紺のスーツを着て、奉仕するだけの機械となる。他人に奉仕するだけの機械だ。俺の人生ってなんだったんだろう。俺の両親は俺がこうなるために23年も育て続けてきたのか。部屋の片隅で、件のブランデーはまだ、封も開けられずに眠っている。 了 PR 先日、後輩の一人に言われた。 「aBreは新規作家の募集をしないんですか?」 aBreは08、09年ごろからのノスタルジーで小説を書いている集団だ、と思っている。08年以前の純文学・批評路線の筑波文学におけるエンタメのはけ口として集まった彼らは、筑波文学本誌がエンタテイメントに寄り、批評が一つも寄稿されない状態になってもなお、ノスタルジーで小説を書いている。 結論から言えば、aBreは新規作家の募集をしないだろう。現在のメンバーのつながりから、現在のメンバーより若い世代を取り込むことは不可能に近い。筑波文学に直接のパイプを持っているのが俺だけだからだ。 もちろん、メンバー各位からの用命があれば引き抜きをするのもやぶさかではないが、おそらくメンバーの誰もがそれを望んでいないだろう。 ノスタルジーでやっている。この言葉が持つどろどろとして重たいものは大きい。 以上。 俺に言わせれば、四年前は苦しみの一年生だった。一年生の筑波文学秋号、2008年の秋号に、俺は作品を寄せた。その作品の程度の低さ故に、俺はかなり悩んだ。自信作だった。はっきり言って今でも、その小説に盛り込んだテーマには自信があるし、俺は間違っているとも思っていない。でも、評価は低かった。 思えば散々に言われたものだ。日本語がなってないだとか、私はこれを筑波文学に載せるのはイヤとか、筑波文学らしくないとか。そんな流れの中で「筑波文学とはなんなのか」議論まで巻き起こって、俺は申し訳なさよりも先に緊張で胃が縮こまる思いだった。思えば、一年生の頃は火曜日がやってくるごとに緊張と自責の念で吐きながらサークル活動に行っていた。そこまでしなくても、と思うかも知れないが、そこにしか帰属意識を持てない人間にとって、一つのサークルが占める重さがわかるだろうか。 それで、一年生の代替わりが終わった頃から、俺は活動をサボり、夕食にだけ参加するようになった。それは二年生の秋頃まで続いた。その間、俺は作品の執筆を止めた。断筆して、もう一生小説なんて書くものかと思った。 それから三年が経ち、俺は筑波文学に改めて「無頼夢譚拾遺」を寄稿した。“ほぼ”、満場一致で選考会を通過した。本心を言えば、ざまぁみろ、といった気分だった。ようやっと復讐を果たしたと思った。誰に対しての復讐かといえば、それは筑波文学の会という、不定形でつかみ所のない組織への復讐だった。 復讐を果たしてから、俺は五年目の学生生活を送っている。プロレスでエッセイも書いた。今回の筑波文学秋号にはプロレスのレビューを書いた。ずっと前からやりたかった企画も行い、対談も載せた。aBreでは小説を好きに書いて、流星ハートビートに客員参加してエンタテイメント小説にも挑戦しようとしている。学生プロレスにも参加した。ビブリオバトルで学園祭の檜舞台にも登る予定でいる。 俺は振り返れば、苦しんだ一年生であり、虚無の二年生であり、暗黒の三年、四年生であり、そして今は胸を張って学生生活を送っていると言える五年生を過ごしている。 幸せとはなんなんだろうか。今の俺が暫定的に答えを出すとすれば、充足感であろうと思う。もっと具体的に言えば、好きなことを胸を張って好きなように出来る時間を過ごしている、という充足感だ。幸せが欲しいといえば簡単だ。でも、その大きな枠組みをもっと狭いカテゴリに置き換えて、ひとつの目標を見いだすことは難しい。でも俺は、今の俺が俺なりに幸せであるとは、おごって言えば言えると思う。 今日はこのくらいにしておこう。 以上。 基本的に疑心暗鬼になると止めどなく不安感に襲われるのが俺だ
ここ最近はそんなこともなかったけれど、先日の学生プロレスの 「君のあの技、アレアレ、アレ良くないよ」といった名も知らぬ 誰も彼も本心を口から発しようとはしない。そんなことはわかっ とにかく落ち着かない。じっとしていられない。今の俺はかなり とにかくいまは10・6だ。盲目的になってしまっても構わない 以上。 「恥があって小説がかけない」と彼は言った。もっともであろうと思う。もしも小説を書くという行為が思春期や青年期における「若気の至り」なのだとしたら、これほど恥ずかしいものはないだろうと思う。大人になってまで、素人が小説を書くというのは、確かに恥ずかしいことだ。 昨日、第十四回文学フリマに出て行った。迷った末に参戦した。そしてaBreのブースに真っ先に行った。 小説を書くことについて、エンターテイメント小説というソフト、aBreという媒体、想定される読者のどれもが自分の中で乖離し、そのさなかに自らのミスで信頼を失った。問われれば答えられないであろう、「今更なにを書けるのか」。俺は声ばかりが大きくて内容のない発言ばかりだ。それでも原稿用紙は手放すことができなかった。 aBreに復帰することになった。昨日付である。 とりいそぎ、このブログには報告しようと思う。 明るく楽しく激しく、そして新しい小説を目指し、いま再び筆を執ることに決めた。その場としてaBreを選択した。独立しようかとも思ったが、それは違うと思った。根拠はない。なれ合いたいわけではない。それでもaBreを選択した。 かっこつけた合評や作品を出したら、これほどつまらなくて恥ずかしいことはない。今まで以上に、ワルツにワルツをおどり、ジルバにジルバを踊るようなパフォーマンスを見せられればと思う。 自分にできることをする。今更書けるのか。自信はない。それでも書く以外に俺は俺を表現するすべを知らなすぎた。 いつまでたっても大人になれない、終わらない思春期を続ける俺の報告である。 http://www.nicovideo.jp/watch/sm5736971 以上。 陳腐な話になってしまうが、信頼というのは一度失うと取り返しがつかないらしい。教訓じみた話の中で散々言われ続けていたこのフレーズだが、いざ自分がそういった立場に置かれてみないと、人間というのはなかなか実感を伴って金言というのを受け入れられないらしい。 aBreを抜けてから7ヶ月が過ぎた。つまり7ヶ月、小説の筆を置いていたことになる。詩作やエッセイ書きは続けていたが、小説というものからこれほど距離を置いた時期は、中学生以来初めてかもしれない。しかし俺の心苦しさは小説を書かないという労苦ではない。aBreを抜けたこと、ひいてはaBreで世話になった人々に後ろ足で泥をかけてしまったことだ。 aBreの人々は恐らく、もうこれ以上ィヤンキーのようなメンヘラに振り回されてたまるか、という気概でいるに違いない。それは正しい選択であろうと思う。自分で自分を制御できない人間は集団の中で害悪にしかならない。今も昔もそれは変わらないのだ。 惜しむらくはaBreを抜けて私生活でも世話になった人々とも縁が途絶したことだ。俺と関わると人間は総じて不幸になったりぎくしゃくしたりする。その中でも辛抱強く関わってくれた人々に、俺は泥をかけてしまった。 そんなことを考えていると未だに眠れなくなったりもする。ほとほと俺というのは度し難いメンヘラなのだなと思う。 許しを請うとするならば、それは神様ではなく失ってしまった友人に対してだろうと思う。しかしそれは恐らく永遠に許されないのだ。 以上。 大手出版社へのエントリーシートを送った。無謀なことだとはわかっているが、どうしても心の隅で期待してしまう自分がいる。インターネット曰く、出版社の採用は8割コネ、2割学歴らしい。コネは当然無いし、学歴もない。繰り返すようだが、無謀にもほどがある。 先だってエントリーシートの添削を、大学の就職課にお願いしてみた。30分ほどの間に5枚のエントリーシートに目を通した白髪の男性は、一部に苦言を呈した程度で「頑張って下さい」と言った。加えるように「出版・・・、どこかに入れるといいですね」と言った。目を伏せて言った。わかってる。その男性は胸の内で目の前のドンキホーテを笑っているのだと、そんなことは痛いほどよくわかった。早々に立ち去った私の胸には深い傷が付いていた。早いものだ。次は出版社から「お祈りメール」という打撃が来るというのに、全く持って弱い。 深沢七郎は文壇登場後の二作目「東北の神武たち」について、武田泰淳の指導を受けようと事前に原稿を読んで貰ったそうだ。武田は「出してもいいでしょう」とあっさりしたものだったらしい。実際の所、東北の神武たちの評価は著しく低い。私のようなずぶの素人が読んでもはっきりとわかる低俗小説だ。 結局、指導なんて出来ないんだろうと思う。それはエントリーシートだろうと小説だろうと同じことで、結局その執筆者の内に秘めているものが上手く出ているかそうでないかの違いでしかなくて、文章のHow toなんて存在しないんだって思う。 適職検査をやった。日経就職ナビのだ。一番にも二番にも、適職は「コンサルタント」と出た。笑ってしまった。タダでさえマネージャーが欲しいなんてぼやいている私が、あろうことか専門的知識を得て企業のお目付役になるだなんて、想像しただけで笑ってしまう。就活っていうのはこういう不適合がおこるからやってられない。 ただ、もしも、たとえば相手との対話の中で、相手の内に秘めた光るモノ、何かしら光るモノを見付けて、それを相手の口から語らせることができるんだとしたら、それはきっとすばらしいことだと思う。私はそういう人間になりたかった。自分が凡夫であったとしても、自分が助力した人が一等賞を取ればそれでよかった。昔はそういう人間だったはずだ。 私にそんなことができるんだろうか。もしそれを仕事として出来るとしたら、それは教師以外の何者でもなく、そして教師になることはさっぱりと諦めてしまったのが私なのだ。 今更になってどうしようもなく、私は空っぽの理想主義者と成り下がりまして。 以上。 今、僕は耐えがたい不安感に包まれている。これは普通ならもっと早くに経験するはずの不安だ。将来がどうのこうのという以前に、自分自身へ向き合う場面は、既に通過していなければならない必須儀礼だった。それをしったのはつい最近だった。僕にとっての不運はすべて此処に終結し、ここから発信していく。 僕だってただバカであったわけではないのに、しかし漫然と口を開けてごちそうが降ってくるのを待っていたような態度では、さしもの神様だって仏様だって蜘蛛の糸は垂らしてくれない。なんたって蜘蛛の糸は美味しくないのだ。 明後日、今の不安感が終結し、明後日からまた別の不安感が始まる。その第二の不安感がもし負の結合によって現実の物となってしまったら、僕はどうなってしまうのだろうか。考えたくもない。出る前から負けることを考えるバカがいるか、と彼の男は言ってのけた。僕にその度量はない。 気が狂うとしたら次だ。次でもし僕が発狂してしまったなら、僕は実にフィクションのように発狂し、フィクションのように人生を終えるのだろうと思う。 今はただ、安らかに死ねることを願うだけだ。 ィヤンキー・キャムキャムメロン、記。2012/01/12 | カウンター
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