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痩せ枝や 花尾踏みしめ いくとせを
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冨嘉記 2013/04/22


「御社」が「当社」になる日がやってきたらしい。

 企業の入社研修を受けていた。この会社に入社が決まった時、父にもらったブランデーを思い出していた。この会社は社会福祉の一環として、盲導犬の訓練の委託を行っている。
 盲導犬はいつだってすごく退屈そうな顔をして人間に奉仕している。彼らは聞くところによると人なつこい性格の犬しかなれない職業なのだそうだ。うちの、最近死んだ実家の愛犬を思う。あいつは二四時間自由だったし、いつだって尾っぽを振っていた。それに対して盲導犬はなんてカワイソウなんだ。そう一瞬だけ思ったけれど、結局人間もなりたい自分になんてそうそうなれない。「自分で選んだ仕事」なんて言われ方はするけれど、結局は多くの就職活動の果てに拾ってもらったところに転がり込んだだけだ。モチベーションが上がるわけもなく、あれよあれよという間に感情のない奉仕する機械になっていく。そう考えると、信頼される飼い主に奉仕する盲導犬のなんと自由なことか。

 そも、奉仕とは何なのだろうか。所詮はただ巡り会っただけの関係である企業と俺の間に、何の特別な感情があるだろうか。これは非常に矛盾をはらんでいる。俺は自分に愛国心があると信じているからだ。俺はこの国に選んで生まれてきたわけではない。当然だ。そしてこの国から直接、俺の利益になるようなことをされた覚えもない。しかし俺は漠然と、本当に漠然と日本が好きでいる。それなのに何故俺は企業に対して愛社心を抱けないのだろう。信頼、というものが俺の心をよぎった。しかし信頼などと言うそれこそ漠然としたもので左右されるなら、俺はきっといともたやすく新興宗教にはまるだろう。

 何故俺はこの企業に入ったのか、に対する明確な答えがないどころか、それ以前に自分は何になりたいのかについても答えを出せぬままに大学を卒業してしまったことが俺の人生最大のミスだっただろう。例えば、自分があらゆる可能性を持っていた、何者にだってなれるとしても、俺は何になりたいのか明らかな答えを出せないまま、やはり大学五年間を終えただろう。つまるところ、企業の言うところの積極性など、仕事をする上でどころか、生きていく上ですらないのだ。極めて消極的なのだ。およそ努力とは無縁だった俺が、2013年の4月から生まれ変わるかは、これまでの軌跡を観ればそれこそ、明らかだ。
 
 盲導犬は自ら望まず訓練され、奉仕する立場となる。対して俺たちは望まず企業人となる。就活で第一志望の企業に入れる者など少ない。しかし、盲導犬たちのつまらなそうな顔がどれほどうらやましいことか。彼らのジョイはゼロかもしれないが、俺のジョイはマイナスだ。ベンチに腰掛けた盲人の膝に顎を乗せすまし顔をする彼、彼女ら。それを脇目に見て、俺は着心地のわるい濃紺のスーツを着て、奉仕するだけの機械となる。他人に奉仕するだけの機械だ。俺の人生ってなんだったんだろう。俺の両親は俺がこうなるために23年も育て続けてきたのか。部屋の片隅で、件のブランデーはまだ、封も開けられずに眠っている。

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◆◇◆おしらせ◆◇◆

こんにちは。ィヤンキー・キャムキャムメロンです。

ニコニコ生放送を中心に今後は展開していくものと思われます。
詳しくは随時記録していきますが、ともかくプロフィールからコミュニティトップをご参照下さい

連絡用アドレス
cumcummelon@gmail.com

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aBreのことについて


 先日、後輩の一人に言われた。

「aBreは新規作家の募集をしないんですか?」

 aBreは08、09年ごろからのノスタルジーで小説を書いている集団だ、と思っている。08年以前の純文学・批評路線の筑波文学におけるエンタメのはけ口として集まった彼らは、筑波文学本誌がエンタテイメントに寄り、批評が一つも寄稿されない状態になってもなお、ノスタルジーで小説を書いている。

 結論から言えば、aBreは新規作家の募集をしないだろう。現在のメンバーのつながりから、現在のメンバーより若い世代を取り込むことは不可能に近い。筑波文学に直接のパイプを持っているのが俺だけだからだ。

 もちろん、メンバー各位からの用命があれば引き抜きをするのもやぶさかではないが、おそらくメンバーの誰もがそれを望んでいないだろう。

 ノスタルジーでやっている。この言葉が持つどろどろとして重たいものは大きい。



 以上。

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学生プロレスを続けないとしたら、という話

 
 しごきとかかわいがりというのは、ある程度信頼関係を気付いてから行われることが望ましい、と勝手に思っている。もっと簡単な話をしよう。人をしかったり指導したりするときにも、それなりに仲良く、ではないにせよ信頼関係を築いてからでないと有効ではないし、何より益がない。

 今回の学生プロレスを通じて思ったのは、そんなことだった。それは去年の教育実習を通じても感じていたことなのだけれど、全く見知らぬ人に叱咤されても、ただ怒られた側は不愉快なだけで、それがどれだけ彼らにとって有益であっても欠片さえ伝わらない。

 俺に何かしらアクションを起こしてくる学生プロレスOBの多くは、そう言った信頼関係の構築というステージをすっ飛ばしてぶつかってきた。俺は面食らった。

 例えば「君のニールキック、良くないよ」と何の脈略も無く言ってきたかと思えば突然腕を取り足を取ってセメント(本当に痛い攻撃)を加えてきて、あまつさえ「俺たちはこういうこともできるんだ」としたり顔で言ってきた彼。

 例えば試合のスパーリングをしている最中に俺の左側頭部に平手打ちをかまして俺の鼓膜を破った彼。

 そしてそれを平然と見ていた彼らのことだ。

 冗談とシリアスの境界をただでさえ図ることが苦手な俺がそんなことをされたら人間不信にもなる。俺はプロレスが好きだし、学生プロレスは楽しいと思っている。しかし、もしも俺が学生プロレスを続けないとしたら、それは仕事の忙しさでも体力面での不安でもなんでもなく、ただOBたちのせいだとしか言えない。

 恨み言もこのくらいにしよう。

以上。

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四年前のこと


 俺に言わせれば、四年前は苦しみの一年生だった。一年生の筑波文学秋号、2008年の秋号に、俺は作品を寄せた。その作品の程度の低さ故に、俺はかなり悩んだ。自信作だった。はっきり言って今でも、その小説に盛り込んだテーマには自信があるし、俺は間違っているとも思っていない。でも、評価は低かった。

 思えば散々に言われたものだ。日本語がなってないだとか、私はこれを筑波文学に載せるのはイヤとか、筑波文学らしくないとか。そんな流れの中で「筑波文学とはなんなのか」議論まで巻き起こって、俺は申し訳なさよりも先に緊張で胃が縮こまる思いだった。思えば、一年生の頃は火曜日がやってくるごとに緊張と自責の念で吐きながらサークル活動に行っていた。そこまでしなくても、と思うかも知れないが、そこにしか帰属意識を持てない人間にとって、一つのサークルが占める重さがわかるだろうか。

 それで、一年生の代替わりが終わった頃から、俺は活動をサボり、夕食にだけ参加するようになった。それは二年生の秋頃まで続いた。その間、俺は作品の執筆を止めた。断筆して、もう一生小説なんて書くものかと思った。

 それから三年が経ち、俺は筑波文学に改めて「無頼夢譚拾遺」を寄稿した。“ほぼ”、満場一致で選考会を通過した。本心を言えば、ざまぁみろ、といった気分だった。ようやっと復讐を果たしたと思った。誰に対しての復讐かといえば、それは筑波文学の会という、不定形でつかみ所のない組織への復讐だった。

 復讐を果たしてから、俺は五年目の学生生活を送っている。プロレスでエッセイも書いた。今回の筑波文学秋号にはプロレスのレビューを書いた。ずっと前からやりたかった企画も行い、対談も載せた。aBreでは小説を好きに書いて、流星ハートビートに客員参加してエンタテイメント小説にも挑戦しようとしている。学生プロレスにも参加した。ビブリオバトルで学園祭の檜舞台にも登る予定でいる。

 俺は振り返れば、苦しんだ一年生であり、虚無の二年生であり、暗黒の三年、四年生であり、そして今は胸を張って学生生活を送っていると言える五年生を過ごしている。

 幸せとはなんなんだろうか。今の俺が暫定的に答えを出すとすれば、充足感であろうと思う。もっと具体的に言えば、好きなことを胸を張って好きなように出来る時間を過ごしている、という充足感だ。幸せが欲しいといえば簡単だ。でも、その大きな枠組みをもっと狭いカテゴリに置き換えて、ひとつの目標を見いだすことは難しい。でも俺は、今の俺が俺なりに幸せであるとは、おごって言えば言えると思う。


 今日はこのくらいにしておこう。


以上。

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学生プロレスのこと

 基本的に疑心暗鬼になると止めどなく不安感に襲われるのが俺だ

 ここ最近はそんなこともなかったけれど、先日の学生プロレスの練習から不安感が増している。

 「君のあの技、アレアレ、アレ良くないよ」といった名も知らぬOBさんはどういうつもりだったのだろう。不安感が増す。あの瞬間から今の今までずっとずっと人の視線が気になり始めた。止めに前振り無しでセメント技をかけられた。肩と腰の痛みが引いたのは一昨日のになってからだった。

 誰も彼も本心を口から発しようとはしない。そんなことはわかっているのに、その本心を知ろうと思うから不安になるんだ。

 とにかく落ち着かない。じっとしていられない。今の俺はかなりシリアスだ。10・6限りでもう止めにしてしまっても構わないくらいの心情でいる。



 とにかくいまは10・6だ。盲目的になってしまっても構わない。今は10・6だけを見る。


以上。

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自分の底が見えてしまう恐怖

 
 僕は自分の底を相手にさらしてしまう恐怖と常に隣り合わせでいる。それは他の人にとっても同じだと思う。
 
 そんなことを考えたきっかけは些細なことだ。ワールドオーダーというパフォーマンス集団がいる。ワールドオーダーのすごさというのは目に観てわかりやすい。でも、それを人に勧めるということに僕は非常に恐怖を覚える。
 
「この動画の、この部分がすごいんだ!」と語った瞬間があったとする。パソコンの前に数人が集まっていた場での話だ。そのとき帰ってくる「すごいですね」という返答が果たして社交辞令なのか本心からなのか考えたことはあるだろうか。俺はある。常にそうだ。
 
 俺はその、自分がすごいと思っているものが他人にとってどうでもよかった、という瞬間を恐れている。それはきっと俺が書いている小説についてもそうなんだと思う。本を薦めるときだってそうなんだと思う。嬉々として人に漫画を薦める人や動画を見せる人、音楽を聴かせる人を前にすると、俺は自分の身に置き換えてひどく恐れを抱く。それが的外れであろうとなかろうとだ。
 
 以前こんなことがあった。実に偉大とされる先輩と同席した徹夜の日、俺はまだ大学の一回生だったが、俺はその先輩と同席していた同期に格闘技の試合を見せた。PRIDEという団体のベストバウトに数えられる、評価されている試合だった。誰もがわかる、わかりやすいすごさに満ちた試合だと思った。しかし反応は芳しくなく、皆が冴えない顔をして「すごかったよ」と心にもないことをつぶやいていた。俺は気恥ずかしさ以上に恐怖を覚えた。俺がすごいと思っているものは、こんなにもどうでもいいことなんだと思った。
 
 小説についてもそうなんだと思う。俺は人に勧めたい小説が山のようにある。でも大学に入ったばかりのころ、熱心にその本を進めたが、熱心に聞いてくれた先輩も、ついにその本を読むことはなかった。自作の小説についてもそうだ。俺が問題意識として持っているものの意義や内容のおもしろさについて、自分の中で絶対の価値を置いていたとしても、他人にとっては駄作であることは往々にしてありえるし、そういう時の方が多い。自分の底を見せてしまった、と俺は恥ずかしい以上に恐怖する。
 
 俺は昔は多くの人に自作の小説や詩を見せて回って、感想を得ていた。だが最近はそれをしない。恥ずかしいからではない。大人になって気恥ずかしさや自尊心が傷つく恐れを抱いたのではない。俺は自分の底を見せることに恐怖しているのだ。先輩がいた頃は良かった。自分の未熟さを未熟さとして受け止めてくれる人がいたからだ。今は違う。俺は本当にたいした人間ではないのに、いつの間にか大学というこじんまりした場所の最年長になってしまった。
 
 この恐怖、自分が見透かされているのではないか、自分の底を相手が伺っているのではないかという恐怖は大学二年の頃、後輩が入ってきたときにはじめて 感じ、それはいつしか俺を白亜の壁で囲うまでになっていった。俺は恐怖している。今の瞬間にも恐怖している。
 
 そろそろ止めよう。
 
以上。

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冨嘉記2012/05/07



「恥があって小説がかけない」と彼は言った。もっともであろうと思う。もしも小説を書くという行為が思春期や青年期における「若気の至り」なのだとしたら、これほど恥ずかしいものはないだろうと思う。大人になってまで、素人が小説を書くというのは、確かに恥ずかしいことだ。

昨日、第十四回文学フリマに出て行った。迷った末に参戦した。そしてaBreのブースに真っ先に行った。

小説を書くことについて、エンターテイメント小説というソフト、aBreという媒体、想定される読者のどれもが自分の中で乖離し、そのさなかに自らのミスで信頼を失った。問われれば答えられないであろう、「今更なにを書けるのか」。俺は声ばかりが大きくて内容のない発言ばかりだ。それでも原稿用紙は手放すことができなかった。

aBreに復帰することになった。昨日付である。

とりいそぎ、このブログには報告しようと思う。

明るく楽しく激しく、そして新しい小説を目指し、いま再び筆を執ることに決めた。その場としてaBreを選択した。独立しようかとも思ったが、それは違うと思った。根拠はない。なれ合いたいわけではない。それでもaBreを選択した。

かっこつけた合評や作品を出したら、これほどつまらなくて恥ずかしいことはない。今まで以上に、ワルツにワルツをおどり、ジルバにジルバを踊るようなパフォーマンスを見せられればと思う。

 自分にできることをする。今更書けるのか。自信はない。それでも書く以外に俺は俺を表現するすべを知らなすぎた。

いつまでたっても大人になれない、終わらない思春期を続ける俺の報告である。


http://www.nicovideo.jp/watch/sm5736971


以上。

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あなたがスキですと


 何故言えなかったのだろう、という後悔を持っている人は、きっとぼくよりも幸せなんだ。


 という書き出しより始まる小説を考えましたが、展開がまっ白でしたので書き出しもしませんでした。此礼木です。

 最近は心身共に調子が良く、人付き合いも滞りなくできるようになってきました。以前のように暴走したりはなくなりつつあります。去年の今頃はそんな調子づいたところで断薬をして持病を悪化させたのでした。今年は踏ん張って、元気であろうとなかろうとお薬だけはちゃんと飲むようにしたいと思います。

 あたらしいことを始めようじゃないか、と思い、学生でしかできないことを企画中です。小説やその他文章系ではありません。かといって声劇でもありません。もっとこう、パフォーマンス的な? わかりません。俺も詳細はしらないんです。いいのかな、それで。

 これを仮に「プラン『インチキ』」としておきましょう。プラン「インチキ」はせめて滞りなく進んでくれることを祈るばかりです。


 生存報告までに乱文失礼。それでは。



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〔進捗状況〕

・プラン「P」:7%
・プラン「I」:10%
・プラン「インダス」:80%

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