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痩せ枝や 花尾踏みしめ いくとせを
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プラン「インダス」についての報告


 アニメ、「ブラック☆ロックシューター」を見て、やはり私の余滴の大河は間違っていなかったと再認識した。ひいてはこれは、とある高校のとある先生からお教えいただいた論理だ。

 プラン「インダス」は現在、着地点を見いだせないままでいる。発表する場がないというのと、もうひとつは応募する先がないということだ。加えて言うならば、これは小説でもエッセイでもない。かといってプラン「インダス」をプラン通りにくみ上げるとしても再考が必要だ。要するに中途半端なのだ。

 私の内心の吐露と日記帳の合いの子のようなこの作品の居場所は一応、用意されている。それは既に1月に郵送という形で済ませている。しかし手直しは必要だ。いずれこのプラン「インダス」が完全な形で成就することを祈っている。祈るばかりでは何一つ進まないが。

 結局、駆け込みで放った数発の弾丸は的を外れたらしい。もともと用意されていた弾丸だ。この数ヶ月の間に生産したものではない。外れて当たり前だ。そう思っている。大昔の弾薬を使い回すのは良くない。そうだ。

 今の私は就活に専念するべきなんだろう。だからこそ逃避として書きたい気持ちもあるが、就活というのは実に後のないレースのようで、一心不乱になることを求められるらしい。

 次に私がマスクを付けて文学フリマに登場するとしたら、多分それは私の個人のブースの中ということに、したいなぁなどと、考えては、消え、考えては、消え

 これ以上は止めておこう。ひとまず、プラン「インダス」の報告であった。



以上。

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コードネーム「プランP」について


 進捗状況は7% ただしこれは額面上のこと。前半が縦に長く密であるとするならば、後半は散在して横に広くなるはずだ。作業は加速度的に早くなっていく見通しである。


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「大阿蘇」 三好達治


以前の「漂白」と同様、主題、構想、叙述に分けて研究を試みる


「大阿蘇」

三好達治



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[……それから……]
「漂泊」 伊良子清白


主題、構想、叙述という三要素について詩歌の読解を試みる

今の私は、この三者の違いがわからない、というのが正直なところ

ひとまず、題材は伊良子清白の「漂泊」

根底にある主張を主題、文章による漠然とした構成を構想、文章そのものについての詳細を叙述と、勝手な定義付けをしてみたところで、読解に移る

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[……それから……]
「かめれおん日記」 中島敦


最初の導入こそ小説らしかったが、後半では自我の垂れ流しのような雰囲気がした。カメレオンの衰弱と自身の病気とを重ねているのは確実だろうが、 詳しい意図は不明。カメレオンの傷の描写に意味があるようだけれど、その反面決してくどくは書かれていない。意図不明。主人公の教師は中島敦のトレース か? しかしそれだと分かりやすすぎる。思うに、この主人公は中島敦が自分を主観を交えて外から眺めた人物像だと思う。



だめだ、眠くてろくな感想が思い浮かばない。もっと指摘するべき段落が数カ所あるはずなんだけど・・・



以上。

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「和歌でない歌」、「Miscellany」 中島敦


「和歌でない歌」
若さの煩悶のようなものを感じるが、その一方で徹底的に理詰めにしたがっているような印象も受ける。
この違和感は恐らく中島の焦燥感、或いはそれに似たどこか収まりが付かない感情が働いているのではないかと考える。
どの歌にも「我」もしくは私という自我を印象づける内容が埋め込まれており、たとえ小難しい著名人や芸術家の名前を出した所で、どうしても主張したい自我のありようは理性でカバーしきれていないように思う。

「Miscellany」
和歌でない歌、と一変、今度は少し自我から距離を置いたような口調の詩歌となっている。煩悶や焦燥感をはき出していた印象は薄れ、詩歌として楽しんで書いている印象さえ受ける。私としてはこちらの方が好みだ。




以上。

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「古譚(狐憑、木乃伊、山月記、文字禍)」 中島敦

メモ書き程度の感想


「狐憑」詩人という、一般に芸術家として尊敬されうるものを、随分と即物的に
とらえた話だと思った。夢想家としてのシャクに長老が嫉妬しているかといえば
決してそうでもない、実に俗っぽい「土着性の生活」に根付いたところにこの作
品の価値観がある気がする

「木乃伊」一ペルシャ人が埃及での前世を取り戻す話としてはすっきりするが、
その前世でまた前々世を思い出してしまうところに恐ろしさを描いている。恐ろ
しいと思うのも今まで生きていた前提があるからで、その中で前世を恐ろしがる
というのが不思議な感覚のように思えた。

「山月記」「臆病な自尊心」という言葉に多く含みがあるのではないかと思う。
李徴の言葉の端々にちりばめられた、文士を志し、なりきれない感情が中島敦の
中でどのような含みを持って発せられているのか、大変気になる作品だと思う。

「文字禍」中島敦の中にゲシュタルトという概念があったのかどうか気になる。
文字というものが部分的な集合であり、それを取りまとめているのが精霊である
とする設定には、古譚と銘打っておきながらどこか新しい、奇抜なものを感じる


一応、コンセプトとしてはTwitterの一回分で収めるようにしてみた


以上。

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