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母子・父子心中は正義なのか


私はこの手の話題に疎いのですが、ずっとずっと考えています。この問題の矛盾というか、理不尽さを感じたのはずっと前だったのですが、より鮮明に知ることになったのはクリス・ベノワというアメリカ人プロレスラーの最期について詳細を知ってからです。今日、Twitterで母子心中の話題を見たので、こんなことを書いてみようと思います。

クリス・ベノワは奥さんと子供達を道連れに無理心中をしました。アメリカでの出来事です。無理心中というのは日本では一つの言葉として用意されていますが、私が聞くところによると、アメリカではその概念そのものがあまり浸透していないらしいです。つまり、家族を道連れに死ぬのは無理心中ではなく、「家族殺しの犯罪者が自殺した」という案件で扱われるらしいのです。私はそのへんの感覚の違いといいますか、慈愛主義者からすれば一種理不尽にも感じる構図にはあまり興味がありません。いや、興味はあるんですが、あまり頓着しないというか、まぁそんなところです。

私がもっと根本的に理不尽・不条理を感じるのは、この時の子供の存在なんです。私はここ数年でより一層思ったのですが、結局定職にもついておらず、収入も安定しない、あったとしても生活するには不十分である、という時点で、私はお酒を飲める年になり、煙草を吸い、年金も毎年控除届けを出し、地方選挙にも投票権を行使して参加するという、ある種「大人」になっても、結局は自己決定もろくにできないただの保護下の子供なのだなぁ、ということをひしひしと感じています。日本では多くの(統計を取ったわけではないので正しくないかも知れませんが)
高校生は家族と共に生活し、親の保護の下で生活していると思います。日々の衣食住を親に依存している限りの中でなんとか自由を得て生活している子供にとって、親の存在とはつまり、酸素のような、なかったら生きていけないものなんじゃないかと思うんです。

そういう時、例えば中学生、例えば高校生の子供を残して親が、のっぴきならない理由で自殺しなければならないとなったら、それは果たして親自身だけの問題なんでしょうか。私はこの点がずっとずっと、長い間わからないままでいます。最近は無縁社会、などという実に分かりやすいタイトルで意味づけられるような時代らしいのですが、親戚筋にも繋がりがない、共同体の円からも孤立している、そういう状況で、子供を残して死ぬか、子供とともに死ぬか、この二択は「どっちが正義なのか」。私はずっとずっと考えています。そして二十年と少しだけの短い人生ですが、私はずっとずっと答えがわからずにいます。

むろん、「答えなんてない疑問だ」とか「死なないことがベスト」とか、あるいは「子供は関係ないんだから無理心中の方が悪」という答えは容易に想像できますし、私もいつもこの疑問で夜、眠れなくなるときにはずっとそれを思い込ませて眠るようにしています。でも、これは社会一般に通じる答えがないにせよ、少なくとも「自分の中には答えがあり」、「死なねばならない事態を前提とした善悪の判断」が必要で、かつ「子供が残されたとき、その先の人生のつらさ、重さ」を考慮した思考が求められている、誰に求められるでもなく、自分に求められるひとつの思考実験なのではないかと思うんです。こういう問題を解くように努力することが、考えることだと思うんです。

繰り返すようですが、私はこの二つの題に対してどちらが善なのか悪なのかを考えなければならない、その状況に理不尽や不条理を感じています。でも考えなければならないという強迫観念にも追われています。そして今の今までそこに答えは出ていません。子供に死ぬ意志がないとして、その子供の意志を尊重するのは人間的でしょうか。子供の行く末を案じて共に死のうとするのは親心でしょうか。私は否定できません。無理心中は確かにより多くの命を奪います。しかし、それを悪だと言うことはどうしても私にはできません。繰り返します。答えはまだ出ていません。

クリス・ベノワの検死の結果、家族と死亡推定時刻が約一日ずれていたらしいです。また、私が聞いた限りの話では、ベノワの家族の遺体の上には聖書が置かれていたそうです。クリス・ベノワの無理心中には脳障害の影響も疑われていますから、必ずしも我々、というか私が想像するような生活に困窮したりだとか、精神的に追い詰められたりだとかという原因は考えられないかもしれません。でも、ベノワが家族を絞め殺したあと、一晩かけて自宅の中を徘徊し、ついに自ら命を絶つに至ったこの構図には、私は歯がゆいというか、やはり理不尽な気持ちしか浮かびません。

皆さんにとっては明確な答え、或いは感覚的にどちらがより「マシであるか」の答えはでているのかもしれません。でも、それが果たして本当に人を説得するに足る思考過程をもっているか、それを私はおたずねしたい。そして是非私を説得していただきたい。



私は今日、そんなことを思いました。





それでは、また・・・。

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