忍者ブログ
痩せ枝や 花尾踏みしめ いくとせを
[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

「障害者特別入学枠」はこの世に存在していいのか


おひさしぶりです。長い集団生活が終了しました。といっても、終わってみればあっという間で、とても濃い3週間を過ごせたな、と思っています。ここでは集団生活で何をしたかについてはあまり書く気がありませんが、とりあえず今日はその集団生活の中で出会ったある一人のお方、個々では仮名として「池莉院さん」とお呼びすることにします(要するにイケメンでリア充の年上、という意味です)。この池莉院さんなのですが、とてもこう、なんというか、哲学的な方でして、その集団生活の中であらゆる人々に対して同じ質問を延々と発し続けて、そのそれぞれの回答を得て、真意の読み取りがたい笑顔を浮かべながらうろうろとするような、そんな方だったのですが、まぁ彼からある「モラルジレンマ」を引き起こす質問をされました。
それは、「『障害者特別入学枠』はこの世に存在していいのか」について、です


池莉院さんは常々考えているらしいのですが、まずいくつかの大学には、障害者、つまり聾・盲・唖などの、いわゆる身体的な障害者の人たちに対して、入学試験のハードルを意図的に下げて入学しやすくする、という「障害者特別入学枠」が存在することの、一概に正義と言えない事態があるのだ、というそうです。そこで彼の思惑としては、この障害者に対する、いわるゆ一種の「優遇」についてどう思うか、是か非か、というのを聞いて回っていたわけです。私はその数多くの被験者の一番最初の人として選ばれたらしいのです。まぁその時は池莉院さんはその質問の真意を語ってくれなかったので、私も大変な気分になってしどろもどろな回答をしていたのですが、他の人にはちゃんと説明していたようで、いわゆるひとつの「モラルジレンマ実験」だったのだ、ということでした。なんで私には言ってくれなかったんでしょうね。そんなに酷い回答だったんでしょうかね。わからないです。

まぁそれはともかくとして、私はその特別入学枠については是と答えました。つまり、健常者というのは当然健常なわけだから努力することについて障害がない。だから自力でやればいいと思う。一方で障害者は最初からハンディキャップを背負っているのだから、同じ土俵に立つためにはタッパを追加することもやむを得ないし、当然だろう、という理由です。しかし私は当然考えながら、それはちょっと極論過ぎる、というか現実を見ていない、文面と状況に対する自分の主観だけで出す、大変軽率な回答だな、と反省しながら質問に答えていきました。
案の定その次に池莉院さんからは「じゃあその特別措置によって健常者の合格ライン上の人が蹴落とされるのは平等ですか?」と質問されました。私はその時は「それは健常者の努力が足りない」と即答しました。池莉院さんはやはりにやにやとしながら私の目を見て話を聞いています。私はもちろん、それは極論過ぎると思っていました。しかしあれこれと考えている時間は、対話している以上無いだろう、それに今から勉強することだって、今すぐには叶わない、と思い、割り切って今現在の感情の赴くままに発言をしていました。
そうすると、池莉院さんは重ねて「その特別入学枠にはひとつ排除されている障害者があります」と語り始めました。何ですか?と聞くと、「身体障害者には特別措置が行われます。しかし大学に入学できない障害者がいます。それは知的障害者の生徒さんです」とおっしゃりました。私は、あぁなるほど、などと思いました。そこで池莉院さんはさらに「障害者と健常者が平等に同じ土俵に立てるための配慮として特別措置が認められる、とキャムキャムメロンさんは言いました。では、障害者同士を比べたとき、知的障害者を排除することは平等ですか?」と聞いて来ました。ここでもう私は思考停止です。勉強したことも調べたこともない話題で、しかも考えたことさえなかったので、ろくな回答などできっこなかったのです。私は少しだけ考えて、「知的障害者には高等教育を行う資格はない」というとんでもない回答をして、池莉院さんを心底呆れさせました。そこで池莉院さんは私から目を離して、「あぁそうですか、いや、面白い回答でした」などと床と壁の境目に視線を送りながら、また口元だけに笑みを浮かべて、ふらふらと共同生活施設の外へと歩いていきました。残されたのは私だけです。

このような社会科学の問題は、数理系のように一つの答えを導き出すものではありませんから、多分池莉院さんは最初から私が正答を返してくることを期待していなかったのでしょう。しかし私が池莉院さんの想像を超える、「あたままっしろおばかさん」回答をしたことで、曖昧な笑顔はさらに曖昧になっていったのだと思います。
池莉院さんが言うには、人間は老いていくにつれて身体が壊れていく、いわば仕方がない生き物である、だから人間は誰もがそのうち障害者となる可能性を孕みながら生きていく、という人間の定義付けを試みていました。そのことを念頭に置くならば、この、健常者と障害者、身体障害者と知的障害者との比較検討はますます高度なものになってくると思います。とてもじゃないけれど、私は答えを出せませんでしたし、それは共同生活の二日目にはもうなされた内容だったのですが、そのご二週間ほどずっとずっと考え続けて、結局今日の今日になるまで答えは出ませんでした。

私はなんと答えれば池莉院さんを失望させないで済んだのでしょうか。私は失望されることにひどく恐ろしさを感じています。あのとき池莉院さんが私から視線を外して、曖昧な笑顔を浮かべて、別れの挨拶も感謝の言葉もなくふらふらと離れていったのは、一体どんな意図があったのでしょう。どんな意図って、そりゃきっと失望したんでしょう。だから、私はとても残念に思います。

今日のブログ記事にはとくにオチを考えていません。漫ろ書きで申し訳ありませんでした。




以上。


拍手[0回]

PR
コメントを投稿する

HN
タイトル
メールアドレス
URL
コメント
パスワード
カウンター

カレンダー

04 2024/05 06
S M T W T F S
1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31
プロフィール

HN:
ィヤンキー・キャムキャムメロン
性別:
男性
職業:
求職中
最新コメント

[04/22 たま]
[10/16 ィヤンキー・キャムキャムメロン]
[03/19 此礼木冨嘉]
[03/16 牛濱]
[08/07 秋梨]
ブログ内検索

バーコード

忍者アナライズ