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痩せ枝や 花尾踏みしめ いくとせを
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喫煙室で見た筋肉質の男


大したものではありません。ただの雑記です。



私はいつものように大型ショッピングモールのフードコートで本を読んでいた。この大型ショッピングモールは、ここ三、四年で急激に増えた郊外型のモールで、東京近郊でのいくつかの古参を成功例として意気軒昂に増えた巨大構造物だといえる。私は夏の暑さ、冬の寒さに耐えかねてよく近所のモールのフードコートに足を運ぶ。私のような貧乏学生には、アルバイトにありつけない故の暇はあるものの、その反作用として金は無い。だからファミレスのようなチャージのいらない、喫茶店のように店員の目にもつかない、加えて飲料水はただで飲めるこのフードコートは、読書や勉強もどき(私は生涯学習という言葉に無知蒙昧なまま信仰心を注いでおり、生涯かけて付き合う分野の知識・考察以外は全て「勉強“もどき”」、或いは「作業」と読んでいるのだが)などをするのが、ちょうど一年前からの習慣であった。確かにここは騒がしいし、ここ数ヶ月は、いわゆる忌まわしい例の震災の影響もあって、聞くにも耐えない節電なるパフォーマンスによって、一人がけの窓際の席は、照明が落ちて暗くなってしまっている。私はそんな中でも足繁く通い、喫煙所から一番近い、四つの椅子が用意してあるにはあまりにも狭い円形のテーブルに座っている。ここで私にとってプラス評価にもマイナス評価にも転じる喫煙所の存在も、このモールを常用する要因の一つになっている。

その日、私はいつものように椅子に座り、深沢七郎のエッセイを読み、息切れしたら深沢七郎の評伝を読み、飽きたらエッセイに戻る、というような読書を二時間ほど続け、その日一本目の煙草をふかそうと喫煙所の自動ドアをくぐった。ガラス張りに仕切られた部屋の中には寄り添うようにして煙草の煙をお互いに吹きかけ合っている(吹きかけるのが目的ではないのだろうが、端から見ればそうとしか思えないほどお互いに接触している)カップルがひと組いるだけで、実に清潔感のある部屋である。空気が煙草の煙で淀んでいることを除けば快適だろう。私はそっと肩掛け鞄を窓際の壁際に置き、煙草を取り出した。私はそもそもあまり煙草を吸うタチではない。その日は一ヶ月前に買ってからまだ消費しきっていなかったechoしか手持ちがなかった。普段はラッキーストライクを吸う私だが、ちょうど煙草を切らした時期、金欠であったこともあって後輩に300円だけ託して煙草を買いに行かせた。その結果がechoだった。私はechoが嫌いで、どうもあの煙たいだけ、煙草の匂いがするだけ、口の中に煙がへばりつくだけの味がなんとも言い難かった。その点ラッキーは明らかに煙草の匂いと味、そして煙が攻撃的で、しかし煙たく感じない。実に強気な味で、私の好みだった。

残り3本になったechoを苦々しい思いで吸っていると、一人、また一人と、数人の個人客らしい男性が喫煙所に入ってきた。私は「部屋の中に目を配って、誰かと目でも合ったらちょっとあれだぞ」と思い、背中を向けて、夜景さえ見えない不毛な駐車場と雑木林ばかりのモールの周囲の光景を見た。その時、私の視界に写った白いタンクトップの男性に思わずたじろいだ。そしてふっと振り返った。短い黒髪に健康的な濃い褐色、そして少しくたびれた白のタンクトップの男性が、中央に円形に作られたベンチに腰掛けながら煙草を吸おうとしているところだった。その男性含め、客は誰も私が振り返ったことに気付いていない。私は過剰反応だったことを少しだけ恥じていたが、少しだけ安堵した。この男性に目を奪われた原因は、その二の腕のこぶだった。実によく鍛えられている。ビルドアップによる筋増大ではなく、無駄な脂肪を落とし、しかし柔軟性を蓄えた、実に引き締まった腕である。その腕は久方私が見ていなかった、「使われている筋肉」であった。

私はプロレスが好きだ。得にアメリカのプロレスショーが好きで、肉体派の男性の半裸などは日常の如く見続けている。それは確かに液晶、或いはブラウン管を通しての映像に過ぎなかったが、私はそれでも筋肉には見慣れていると思っていた。しかし、こうして目を奪われる筋肉には久しぶりに出会った、と思った。実生活で私と同世代の人間が身にまとう、実に健康的な筋肉には、現実でも数多と出会ってきた。しかしそのどれもが鍛えるための筋肉であり、いわば保護されてきた筋肉だった。少しニュアンスが変わるが、その点はプロレスラーも同じで、彼らは人を投げるため、人に投げられるために筋肉をつける。決して人を投げる過程で、人に投げられる過程で筋肉がついていくのではない。目的のために自らを作っているのだ。その際の覚悟の差はあれ、私が日常で見かける多くの筋肉質な男たちもまた、身体を作るという目的の下、自らを作り上げている。しかし、目の前の男性は違った。その違いは肌を見ればわかった。まず彼の褐色の肌は首もとから顔面にかけて広がり、腕もその色に染まっている。しかし、全身一通りに同じ色ではないのだ。むしろ胸元の褐色の境界からタンクトップの襟周りにかけてのごく少ない領域については、実に黄色人種然としている。脇から直上に伸ばした境界線より胴体側も同様に黄色い。この男性は肌を褐色に染めようとして染めているのではなく、日常の中でこの色になっているのだ。そして、手の甲から手首、肘、二の腕にかけての肌の荒れ具合にも目がいった。ほくろは多く、シミもどこかうっすらと浮かんでいる。まだ若々しい、おそらく二十代後半か三十代前半ほどの男性である。爪も武骨な形をしていて、指の節々に刻まれた皺には、まさにこの両腕が担ってきた重荷たちの歴史を感じさせるものであった。

私は名残惜しさを押し殺して、ゆっくりと姿勢を戻し、また窓の方へと顔を向けた。窓にうつるタンクトップの白をぼんやりと見つめながら、私は深沢七郎のことを思った。深沢はその人生の後期、埼玉県に移り住んでラブミー農場なる農場を作った。自給自足の生活を始めたのだ、と資料には残されている。深沢にはもともと百姓への信仰があったとされている。もっといえば、土に根ざした生活への憧れ、それも根源に根付くような強い意識があったといってもいいのではないか。彼は若い頃、一通りの身体的苦悩を経験した。戦時の兵役試験で、人員が足りなくなり、軒並み兵役検査の格付けが上乗せされた時代でさえ、深沢は障害者を除けば故郷で唯一の徴兵されない男であった。戦後は一時的な失明も経験した。ラブミー農場に移り住んだ頃には心臓を病んでいた。しかし彼は土に根ざした生活を始めた。土を見つめ、虫と戦い、風を読み、空を聞く生活である。彼の住居は移り住んでから増築していったと聞く。あばら屋で生活しながら土を鍬で耕す、そんな生活がどれだけ続いたのか、今は手元に詳しい資料がないのでわからないが、深沢は同居人の若者二人と一緒に農場を自力で切り盛りしていった。
かつて「楢山節考」の受賞者として中央公論社に出向いた時の深沢は、選考人たちを失望させるほどの、実に知的でも無し、見た目にカリスマもなし、ただのおやじであったという。むしろひょろひょろのただのヌード劇場の音楽屋であった。そんな深沢も、土に生きようと自ら鍬を取った。深沢は鍬を取るために土に心を注いだのではない。土と向き合うために鍬を取った。ともなれば、深沢の身体も、傷が加わり、太陽にやかれ、そして筋肉がついていったのだろうか。農家の老人は皆そろって筋骨隆々なわけではない、というのはもちろん知っている。しかし彼らの腕に刻まれた日常の記憶は十二分にうかがい知れる。深沢にも感じられたのだろうか。使われた肉体の放つオーラのような、なにかが。

私は窓ガラスに映る自分の顔を見た。無精髭のそり残しが目立つ、目の下にくまが出来た、随分とみすぼらしいブ男である。この数年で輪郭も変わってしまった。腕の太さは手に入れたが、かつての強固さはもう感じられない。私は今一度タンクトップの男を見ようと思ったが、彼の座っていた場所には誰もおらず、ただ灰皿に吸い殻がひとつ増えているだけだった。




以上です。

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