忍者ブログ
痩せ枝や 花尾踏みしめ いくとせを
[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

自己批判と自己否定


一人語りですね。

以前、ニコ生において「主(ィヤンキー・キャムキャムメロン)は頭の回転が速い」などと褒めていただいたことがあって、私はすごく歯がゆく思ったことがありました。そのころのことをふと思い出したので、ちょっと所感を漫ろ書きしていこうと思います。

私はだいたい人生において友達というのがいなくて、ずっとひとりだったんですね。詳しく言うと、私は人の目と人の都合を第一に考える癖がついているので、例えば今日は暇だなぁ、誰かと遊びたいなぁ、などと考えても「私となんて遊ぶより、相手には休日を有意義に過ごす都合があるにちがいない」などと考えて、人と会いたい、話をしたいと思い続けて、そうやって葛藤している間に日が暮れるようなことは往々にしてあったわけです。これは小学校時代、毎日のように友人の家に電話をかけて駆け込んでいた私を、中学生になった私が痛く反省した結果なのだと思います。それ以来、かれこれ十年近くもそうやって生きてきました。

こういうと私のことを友人だと思ってくれているごくごく少数の方は怒ってしまうかもしれないですね。私も正直、学友はみんな友達だと思っているし、創作を通じて出会った皆さんもかけがえのない友人であると思っています。でも、基本的に引っ込み思案である以上は交流が産まれないわけですね。だから常に一人なわけです。

中学・高校時代はそれでも一人で生きている間の楽しみはありました。具体的に言うと妄想です。頭の中には常に次の小説のネタと構想が浮かんでいて、それをふくらませる事に終始していました。それはそれで楽しかったです。非常に楽しかった。結果、私はちゃんと小説も書きましたし、今もその当時のネタは引き継いでいて、ちゃんと創作の面では糧になっています。

で、大学に入ってからも惰性でそれは続いていたのですが、すぐに別の妄想が浮かんできて、それが典型的に被害妄想であったわけですね。で、その被害妄想というのも最初は漠然としていて、たとえば学友と楽しく話をして馬鹿笑いしていても、笑いながら「この人は今なにを考えて私と話しているのだろう」などと常に考えていました。そのころからずっと、頭の悪い冗談を話す自分を、斜め上から私が眺めているような、そんな感覚がありました。

それが強烈になってきたのが二回生の夏で、夜の街の暗がりや明かりの消えたビルの窓や背後に常に誰かの視線を感じるようになっていました。常に自分のことを笑っている人がいるような気がしていたんですね。外出するにも恐ろしくなり、人とすれ違うだけで殺されると思ったり、誰もいない隣室から私をクズ呼ばわりする声が聞こえてきたりして、もうホラーだったわけです。

で、諸事情でそれがいったん治まって、三回生の秋から四回生の春にかけてはすごく前向きに生活できていました。なんだかんだで楽観視することができるようになったんですね。で、その気が楽な感覚にすっかり甘えていたわけなんですが、5月に教育実習がありまして、そこで「あぁ、ダメだ」と思って、「甘えていてはいけない」と感じて薬を飲まなくなったんですね。

で、その後夏採用が全滅して、市役所も落ちて、さて目の前が真っ暗だ、ってなったわけですが、もうその頃にはなんかまた自分が二人いる感覚が戻ってきていて、具体的に言うと2011年の6月ごろからなんですが。

今度は馬鹿をしている自分を眺めている私、ではなくて、私に対して批判を加えてくる他の誰かが想像されるようになってきたんですね。その頃から私は周囲の人たちにもものすごい注目するようになって、「ああいう話し方はしゃくに障るな」とか「なんて頭の悪そうな口調だろう」とか「この人たちは風貌からしてネクラだな」とかそういう他者への目を向けて、自分がそのカテゴリーに含まれているかどうかを判断して、「ほら、お前はこれだからだめなんだ、クズなんだ」と常に語りかけてくる人が付き添っている感じがしているんですね。

ほら、こういう自分語りをなれなれしい文体で書くとすごく痛々しいでしょう? それも自覚しているんですよ。というか、これは普通に私に語り口をそのまま文章にしているだけなんですが、それを常に後から「お前は常々痛々しいんだ」とか「この文章を読んだら全員呆れるぞ」とか「誰ひとりたりとも同情なんてしないぞ、お前はさらにクズ呼ばわりされるぞ」って言ってくる人がいるんです。誰かなんて考えるまでもなく自分なんですけれど、かつてひとりで生活している間にしていた思考や空想は全部このもう一人の自分との会話に終始しているのが最近で、もう逃げ場がない気分です。

自分がどこにいても何をしていても自分に対して批判を加える明確な人物、まぁ自分がいるわけですからもう寝ても醒めても常に頭の中には自分がいかにクズであるかの証明が連ねてあるわけですよ。お経みたいに流れるならまだ聞き流せますけれど、はっきりと自分に対して語りかけてきているのでもう避けられないんですよ。

で、どうして自分がダメなのかを自分じゃないだれかがずっと丁寧にわかりやすく説明してくれていて、それによって私は「なぜ私に内定がないのか」とか「なぜ私が不真面目であるのか」をいつでもどこでも誰にでも簡潔に説明できるようになったわけですね。で、それをニコ生で愚痴っていたら、自己分析が出来ている、なんて勘違いなさる方がいて、それで冒頭の「頭の回転速い」説が出てきてしまうわけです。これは遺憾ですよ。

誰だって時間をかければ自己反省くらいできるんですから、それを私はずっとずっとやっているだけのことで、全然私は優秀じゃないし、生産的じゃないし、なにより生きてる価値もないですよ。年金も納税も出来ないんですから。

っていうか私を必要以上に優秀だって決めつけるのは止めて下さいよ。ほんとうに私は頭が悪いんですから。本当に怠惰で不真面目なんですから。楽な方に逃げてるだけなんですから。やめてくださいよ。両親も親族も大きすぎるし、なんで私は小学校から中学校までずっとずっと肩肘張って生きてきたのかわからないし、もっと自由に好き勝手に生きていればこんなことにはならなかったっていうか、こうなったとしても恥ずかしい思いはしないですんだはずなのに、なんでこんなことになったんだろうって、そりゃ真面目ぶってたからだから、成績は優秀であればいいと思ってたし問題は起こさない方がいいと思ってたし、でも実際は成績は悪いし問題行動も起こす素行の悪さが本性なのにそれもひた隠しにしてきて、おかげで昔私を優秀だとか頭が良いとか思っていた人たちに今の自分を見せたくないとかいうもうクズゴミみたいなものだってわかりきってるのに捨てきれないプライドとかが邪魔をして実家にも帰れず地元に就職口を探すことも出来なくて、結局両親親族の側で死ぬまで世話していたいっていう本心と両親親族含め地元での自分の昔の評価が汚されるのが怖くて地元に戻れないっていう板挟みになって、来年住む場所も定められないまま無軌道に就活していたから熱も入らないで失敗したってことだろうし、そんなのわかっていたのにでも相談なんて誰にも出来ないからずっとずっと自分の中で保留し続けて保留しきれなくなったのが今なのにそれでもまだ決めきれなくて、極めつけは「合わせる顔がない」とか言ってお盆にも帰らず親からの電話には出なくて知人友人とも連絡とらなくなって、大切な中学からの友人が公務員に内定出て、今は余裕を持って一つ下の彼女の就活の相談に乗っているなんて噂を聞いて醜いとは思っているのに歯がゆくて悔しくて情けない自分を許せなくて「もう一生合わせる顔がない」なんてところまで至っちゃうのが自分でも何やってるのかわかんないまま今もずっと眠れない夜だから

ごめんもう無理だわ

拍手[0回]

PR
コメントを投稿する

HN
タイトル
メールアドレス
URL
コメント
パスワード
カウンター

カレンダー

04 2024/05 06
S M T W T F S
1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31
プロフィール

HN:
ィヤンキー・キャムキャムメロン
性別:
男性
職業:
求職中
最新コメント

[04/22 たま]
[10/16 ィヤンキー・キャムキャムメロン]
[03/19 此礼木冨嘉]
[03/16 牛濱]
[08/07 秋梨]
ブログ内検索

バーコード

忍者アナライズ